ーーー「インターンの前田くんやっけ?ホルンでどんなことしてんの?」
イタリア・ミラノにて、そう声をかけてくださったのはサッカー日本代表としても有名なSV HORNの実質的オーナーでした。

海外インターンという選択肢

半年間、オーストリア2部リーグのサッカークラブ「SV HORN」でインターンをさせて頂いていました前田と申します。僕は高専という5年制の工業系学校から、大学3年へ編入学しています。当時、編入学試験を受けたのですが、落ちてしまい結局滑り止めの大学に編入することになりました。他の試験応募者に負けてしまい、大きなショックを受けました。

そこでまず、自分は勉強ができない人間だということを自覚しました。また、クラスの中でリーダーシップを取るタイプではなく、なるべく控えめに争い事を避ける大人しいタイプ。 小・中・高とサッカーをやってましたが、中学時代に「コミュニケーション力不足だ。」と言われたこともありました。「自分は何もできない人間だ。」 大学へ編入した後も、負け犬のような気持ちでした。 でも「何かやりたい気持ち」は心の隅に悶々とありました。

そこで考えました。「勉強もできない。コミュ力もない。秀でた能力もない。そんな自分がどうやったら長い人生で勝てるのか」と。今思うと、人生に勝敗はなどないのではと思いますが、当時の僕の行動の動機はそれでした。しかし、その答えはすぐには見つかりませんでした。取り敢えず自己啓発系の中古本を読み漁り、気になる人には会いに行き、という生活でした。

そうやって、いろんな世界に足を踏み入れて実際に見聞きしていると、「なぜ大学で座って授業を受けに行っているのか」という疑問が生まれてきました。その結果、「今は出来ないことばかりだが、将来は仕事のできる人間になりたい!授業を座って受けているだけではそうはなれない。」と感じるようになりました。これからの世の中で仕事のできる人間になるためには何が必要だろうか?英語でビジネスができることだろうか。」そう考えて語学留学などを調べましたが、留学費用が高い。これはとても払えない。

そのときウェブ上で、「海外インターン」というワードが目に入りました。「仕事のできる人間になりたい」自分にとって、安価に、英語で仕事ができ、自分を鍛えられる環境は最適だと感じました。そして、上場企業のフィリピン支社でプログラミング系のインターンに行くことが決定し、大学を休学しました。

「SV HORN」のインターンとの出会い

フィリピンでのインターンが1ヶ月半後に迫ったとき、ウェブ上でInfrAの 「SVホルンでインターンにチャレンジしませんか?」 というページを見つけました。元々サッカーが好きでトレーナーにも興味があり、プロのトレーナーに会いに行って話を伺ったりするほどだったので、「もし受かったら面白そうだな。」とダメ元で応募してみました。


すると書類選考が通り、1次面接へ。面接2日前に本を読んでいると「Win-Winセールス」というワードが目に飛び込んできました。それを見て、選考される側と選考する側のお互いがWin-Winで、ミスマッチがなければ1番良いのではないかと考えました。自分がふさわしくなければ、受からなくてもよい。クラブにとって1番ふさわしい人間が行けば良い。自分は既にフィリピンでのインターンも決まってるし。当たり前な話かもしれませんが、そう思って素直に行動してみました。そこでSV HORN側が求めていることを推測して、箇条書きでA4の紙にひたすら書き出しました。そして、その中でも自分はこんなことが出来ます。やりたいことはこれです。と、同じく箇条書きでA4に書き出していきました。

東京都内のお茶屋さんで、SV HORNのCEOとマンツーマンの一次面接。ひと目見て、優秀なビジネスマンのオーラを感じ、人生で大切にしている言葉を教えてくださいと質問して、1つ聞かせて頂きました。もし来ることになったら、まだ若いんだしフィジカルトレーナーに偏らず、色んなことやってみたら?という言葉も頂きました。結果は合格。

2次面接は、SV HORN会長とSkype面接。そこで「ここまでの合格者は前田君1人です。」ということを教えて頂きました。後々聞いたところ、他の応募者よりTOEICの点数が高かったのと、休学していて約半年間という長期間勤務が可能だったことが内定の大きな要因だったようです。サッカーに関わる仕事ができるなんて、そんなチャンスは中々ないと思ったので、迷わずフィリピンインターンをお断りし、オーストリアのホルンへ行く準備をしました。

ちなみに、フィリピンへの航空券は既に取っていたので、フライト期間をずらしてフィリピンの現地社長に謝りに行きました。フィリピンの現地社長にも、人生で大切にしていることや、仕事で大切にしていることを聞きました。現地の貧しい学校で、サッカーボランティアもしました。

いざ、オーストリア・ホルンに到着


まずホルンに到着してやったことは「挨拶」です。オーストリアの現地で働いている人たちからすれば、「あの日本人は誰なんだ?一体何ができるんだ?」という認識です。実際にボランティアで働いている現地人から、そういった言葉がぼそっと聞こえたこともありました。そのため、オーストリアの公用語であるドイツ語で自己紹介ができるようにして、敷地内で見かけた人には、日本語・英語・ドイツ語で1人1人に「挨拶」しました。体育会系の方なら分かるかもしれませんが、新しく入った部員が上の先輩たちに挨拶して顔と名前を覚えてもらう、そんな感覚です。

そんな中、フラッグをデザインしたり(Jリーグやプロ野球でもスタジアム周りに飾ってある、あのようなフラッグです)、公式ウェブサイトのドイツ語記事を日本語訳したりしました。僕が所属していたマーケティング部は土日は休みでした。でも選手たちは土日のどちらかに練習があることも多いので、自主的に練習に行ってコーンやマーカーを動かしたり、ボール拾いをしたりしました。実は日本で1年間、某サッカースクールでコーチを経験していたので、そういったトレーニングのサポートには慣れていました。また、部門の垣根を超えて動き回っても許されるのはインターンの特権の1つだと思ってたので、それを最大限活かそうと考えていました。

いきなり練習に行っても「あいつは誰だ!?」という感じなので、1人でも多くスタッフや選手と話すことを意識します。年配の方以外、選手・スタッフは皆英語を使えます。僕は21歳でしたが、半分くらいの選手が年齢的に自分と同じくらいか、若いぐらいだったので、比較的話しやすかったです。徐々にではありましたが、名前を覚えてもらえるようになりました。平日は仕事をやって、土日は仲良くなった選手たちとご飯を食べに行ったり、遊んだりしました。とても良い刺激になりましたし、日々真剣にサッカーに取り組んでいる方々と接するのは何より楽しかったです。

ホルンへ来て2、3か月が経過・・・

しかし、2〜3ヶ月も経つと徐々にダレてきました。慣れてきて、頼まれたこと以外やらなくなりました。言われたことを卒なくこなすだけの日々です。気づいたら1時間経って、気づいたら1日経って、1週間経って、1ヶ月経って・・・。ふと振り返ってみると、クラブに何も残せてないなと感じました。

言われたことしかできないなら、別にこの仕事は自分がやらなくてもいいなと思いました。しかし、渡航費や海外保険など安くないお金を払って仕事をしにきたのです。休学して、約半年という貴重な時間もかけています。さらに、無給インターンですので、一般的な「仕事の報酬=お金」という概念がありません。「お金や有形の報酬じゃなくて、何か無形の報酬を自らもぎ取らないと。」「言われたことや任されたこと以外、プラスアルファで何かやってみないと。」と焦りを感じました。

オーストリアメディアによるインタビューに帯同


そんなある日、たまたまSV HORNのCEOに「選手のインタビューでミラノに行くけど、前田君も来る?」と聞いてもらえるというビッグチャンスが舞い込んできました。そして、オーストリアメディアと共にミラノへ行き、 ACミランのホームゲームを見て、ホルンの実質的オーナーとも話す機会を頂きました。サッカー日本代表であるオーナーは、関西弁の気さくなお兄さんという感じで、インターンの私にも全く偉ぶることなく接してくださいました。「5年後、10年後、20年後、もっと這い上がってやろう。」という気持ちも強くなりました。

ミラノから再びホルンへ。自ら考えてチャレンジ。 


組織が大きくないので、数ヶ月間部門を越えて動き回ってると色々なものが見えてきます。そこでインターン生なりに考えたところ、「収入を少しでも増やした方が良い」という一つの結論に行き着きました。収入源で1番大きいのが「スポンサーシップ」、2番目が「放映権」、3番目が「チケット代」、次が「ファングッズ収入」です。僕はインターン生でそもそも名刺すら持っていないのでスポンサーシップも放映権も売ることができません。そんな自分が最も手がつけやすいのがグッズ収入を上げることでした。スタッフの皆さんには、「グッズ収入を上げること」よりもっと優先すべきことが山ほどありました。そのため、これはインターンの自分にふさわしい仕事だと思い、スタッフに「ファンショップやらせてください」と言ってチャレンジしました。

それまでも地道な仕事を色々と任されましたが「はい!イエス!喜んで!」の精神でとりあえず何でもやってきました。そんな具合に、仕事を「なるべく早く」「なるべくミスなく」と意識してやっていたので、何かやりたいと思ったときにやらせてもらえる・協力してもらえる環境が出来上がっていた気がします。

グッズを売っているファンショップはスタジアムの横の入場ゲート内にあり、毎ホーム戦で開かれています。そこで経費を一切かけないアイデアで2つのことを改善しました。当日、ファンショップの電気がつかずに暗いまま。いつも店員をやってくれているバイトの学生が欠席。試合が負ける。というネガティブ要因がいくつも重なったものの、平均より約2倍の売上を上げることができました。放映権・スポンサーシップなどを含んだ全体の収入と比べると本当に微力ですが、結果を出せたということが大きな自信になりました。スタッフの方にその報告書を提出し、達成感と同時にもっと上げることができたなという悔しさも感じました。そして、売上が上がった2つのアイデアを引き継ぎました。

気づいたら年末年始。1人で動いてみる。


ここからがスタートだ!もっといろんなものをクラブに残していくぞ!と思っていましたが、またしても時間に流され、流され。気づいたら年末年始のオフシーズン。年末年始はスタッフの方々も、それぞれ家族で過ごしたり、故郷に帰ったりします。仕事で出張されているスタッフもいます。私は日本に帰らず1人ぼっちでしたが、1人でゆっくり何かを考える時間は社会人になったら減っていくと思うので、ありがたい時間でした。これ以上ないくらい、今後の目標など色々なことを考える良い時間になりました。

そこで、隣国スイスに住んでおり、CL(UEFA CHAMPIONS LEAGUE)で働いている日本人の話を聞きに行ったりしました(ホルンに来る前にも日本で講演を拝聴)。また、世界有数の「スポーツマーケティング企業」(有名なエナジードリンクを販売しています)の本社がオーストリア・ザルツブルグにあるので、そちらにも訪問したりしました。結局、警備員に追い出されたのですが(笑)「欧州サッカー文化の深さを実感する」というのも1つの目的だったので、ドイツの名門バイエルン・ミュンヘンのホームゲームを見たり、日本人選手が所属するザルツブルグvsシャルケの試合を見たりもしました。ファンによって発煙筒がモクモクとたかれ、試合が一時中断しました。


年越しは、ウィーンの市街地でオーケストラが流れている広場で大勢の人たちと共に迎えました。

インターン最後の1ヶ月。ラストスパート。

フロントスタッフ、現場スタッフ、お手伝いをしてくれている下部組織の選手とも比較的コミュニケーションが取れるようになっていました。少なくとも名前と顔は覚えてもらってたと思います。現地のサポーターのおじさんたちとも、仕事終わりにフットサルをするなど、来た当初よりも色々な側面からクラブを観察することができるようにもなっていました。「クラブに何か決定的なプラスの痕跡を残すなら、勝負は最後の1ヶ月だ。」と来た当初は思っていたのですが、ここでもあっという間に1ヶ月が過ぎました。最後の1週間くらいは、次のインターン生の方に引き継ぐことしか考えられませんでした。

そして、ついにホルンとお別れ。


あっという間に約半年のインターンが終わり、地元のサッカークラブに帰って、中学生や関係者に学んだ内容などを報告しました。ホルンを去ったこれからですが、見るだけで恥ずかしいくらい荒唐無稽な目標を掲げました。それに向かって毎時毎秒やっていこうと思っています。今は芋虫のようにウジウジし続けて、いつかサナギになり、いつか蝶となって、世界で羽ばたきます。どんな形であれ、いつかSVホルンのスタジアムに舞い戻ってきたいと思っています。


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